消費者金融番長ケン -13ページ目
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二つの出会い

1995年4月。
東京某所にある我が社の新入社員の研修を担当していた私は、一つの原石を発見しました。
彼女の名はレイコ。
短大を卒業後、新卒入社のしてきた化粧気のない色白で細面な中山美穂といった形容がぴったりですが、何故か黒縁メガネを愛用していました。

絵に描いたような田舎の女の子でしたが、素材の良さは素人とは思えない・・・・無口で何を考えているか分からないが、時折見せる微笑みがキュートで・・・・。
間違いなく彼女を一番早く発掘した。
「第一発見者は私だ。」
なんとも言えぬちっぽけな優越感を感じたのを憶えています。

心を射抜かれた私は、彼女にカッコイイ所を見せたくて仕事に打ち込みました。

1カ月が過ぎ、初めてレイコと二人っきりで飲みに行く機会を持てました。

金曜の夜、残業後に居酒屋で乾杯。
私は、レイコの故郷?横浜(田舎とは呼べないよ!)の話しや仕事の愚痴や不安をひたすら聞き、そしてアドバイスをしていました。
3時間ほどたった頃には
酒の力をかり、渋谷道玄坂のとあるホテルにチェックインしていました。

ハナ金(古ッ!)ですから、部屋を選り好みしている場合ではありません。
ランプがついている部屋番号のボタンを押すと同時に宿泊18,000円の文字が飛び込んできました。
それはそれは、ゴージャスなプール付きの部屋でした。
彼女も大喜びでバタフライを披露してくれた程です。
彼女は、予想通り初めてで、結合にはたっぷり時間をかけて
2回しました。

よく女性には怒られることですが、多くの男性は、処女が好きです。単純に征服欲だと思いますが、
私もそうでした。
当時、付き合っていた1つ下の年齢の女性がおりましたが、レイコに気持ち全てが傾きました。
まるで蟻と象のシーソーのように。


 つき合い始めた私達の最初のデートは、ディズニーランドに行くことになりました。

<翌金曜日の午後3時。仕事の途中>
 「おっと・・・・。」給料日は、あと10日後、ディズニーランドは明日。貯金は0
  親と同居はしているものの30才にもなって「5万円貸して」は言えない・・・。
 そんな事を考えながら新宿の繁華街を一人で歩いていると、「無人契約機」の文字に目がロックオン!
 顧客への訪問の帰りだと言うのに会社に「別の顧客に呼ばれた」と嘘の電話を入れ一時間の空白の時間を演出してしまう。

 気が付くとアコムの無人契約機ボックスの椅子に座り、タッチパネルを押していた。
 二つ目の出会いは、「アコム」くん。言い忘れましたが一つ目の出会いは、もちろんレイコ。
 真逆のようで密接な関係。

 契約完了までの時間は40分程度だった。
 契約オペレーターとのやり取りで印象に残っているのは
 
 借りる理由は、「旅行」と書いても特に突っ込まれなかったこと。
 なんか以外にあっさりな気がした。

 但し、父親と勤め先への電話確認を入れると言われた時は、一瞬躊躇した。

 「会社にばれたらどうしよう」
 親父は不在なのは分かっていたから良いとして会社はチョット・・。
 「偽名で電話して在籍確認をするだけ」と説明を受けても
 「それじゃ融資は結構です」と喉まで出かけたことを憶えている。
 「その言葉を出しちゃえば良かったのに」と今では後悔している・・・。

 50万円の融資枠を簡単に得ることが出来た。
 
 直ぐにキャッシュディスペンサーでお金を引き出した。
 約束通りの5万円だけ。

 返済日は来月の25日で6,000円位の返済予定だったと思う。
 「なーんだ」と胸をなでおろしてしまったことを良く憶えている。

 これぞ、消費者金融マジック!
 あなたは大丈夫でしょうか?

  
  

 
 
 









総選挙、ホリエもんの腹の内は

選挙は与党の大勝利で幕を閉じた。
是非改革を国民に見せ付けて欲しい。
所で、ホリエもんの敗北についてで思うのは、彼のシナリオ通りになったのでは?
当選したら、ライブドアの経営と両立は、出来る訳ない。
彼の言う「株主のために働く」のは今は厳しいと思っていました。
 最も疑わしいのは、亀井氏の地元で出馬したこと。
 本当に政治家になるつもりなら、もっと相手を選ぶだろうし、自民党の公認を受けて比例当選だって可能だったはず。
 大胆さは、注目に値するが自分の足元を見直す時期も来ているのでは?

消費者金融番長誕生

第一回目の投稿を迎えることになったケンと申します。

「消費者金融番長」といってもその業界にいると言うわけではありません。
あくまで借金している側の者です。(エヘン!)

 初めて他人様から借金したのは、20年程前になります。
 麻雀の負け金7,000円を3日間ほど職場の同僚に借りました。

 当時、安アパートで一人暮らしでフリーターであった20才の私は、アマチュアミュージシャンで割と貧乏でした。
 女性に上手く取り入って紐になるような要領の良さは皆無な上、人並のモテル具合の割に内気な私には、人並み以下の女性関係しかありません。
 その上、ヴォーカルではなくギター担当であったため日々の個人練習があり、休日は一人で部屋に隠ってギターの相手ばかりしていました。
 そんな生活を続けるいうちに、友だちと遊びに行くことすらなくなりバイト先と部屋の往復、週に1日は、10時間くらいパチンコ。極希に酒の勢いナンパでSEX・・・・4年間の努力も空しくミュージシャンの夢を断念しました。

 そして、某販売会社にフロームAを見て応募・・・・見事採用となりました。
 24才の冬のことです。
 それから一切ギターを弾かなくなり、会社帰りにパチスロ、休日はデートと競馬など・・・
 ダメサラリーマンへの道をスタートしました。

 就職して3カ月程は、給料全部を使ってしまうものの消費者金融等に借金は一切無く、彼女も出来てそこそこ平穏無事を楽しんでおりました。
 しかし、そうは問屋がおろさなかったから、40才にして448万円(千円以下切り捨て表示)もの借金を消費者金融5社に抱えることになったのです。

 1995年4月。春の訪れが、私の借金生活の始まりを告げていたとは、当時知るよしもありませんでした。






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